活動日誌−活動日誌

【18.07.17】 中日・朝日は森友・加計問題、毎日は人口減と地方自治を

森友・加計問題 逃げ切りか (良心ある新聞の最後の訴え)

(1)森友・加計問題 解明になぜ背を向ける 中日 7月17日
森友・加計問題をこのまま幕引きさせるのか。行政の自浄能力が失われた中、国権の最高機関である国会の責任は極めて重い。国民また国会をだまし続けた責任を追及し、真相究明を果たすべきだ。
一連の森友問題をめぐっては、国有地の大幅な値引き売却に対する背任や決裁文書を改竄した虚偽有印公文書作成などで財務省幹部ら38人が告発された。
しかし、大阪地検特捜部は5月末に嫌疑不十分や嫌疑なしで全員を不起訴とした。
財務省が6月初めに公表した調査報告では、当時理財局長だった佐川前国税庁長官が「政治家名が記載された文書を外に出すべきではない」と発言し改竄を主導▽安倍首相が夫妻の関与を全面否定した国会答弁を契機に、森友側との交渉記録を廃棄した−と佐川氏に責任を押し付けた。
佐川氏がなぜ改竄したのかという核心については「そこが分かれば苦労しない」(麻生財務相)と述べ、まるでひとごとのような態度で終わらせてしまった。
不起訴処分への不満から検察審査会への審査申し立てが相次ぎ、検察判断への期待は残っている。
とはいえ国会こそが率先して真相究明に臨むべきである。何より佐川氏の虚偽答弁により国会は一年余りもだまされ続けた当事者なのである。
立憲民主党は、3月の衆参両院予算委での佐川氏の証人喚問に虚偽証言があったとして議院証言法違反で告発することへの協力を自民党側に求めた。告発には予算委の出席者の3分の2の賛成が必要で、事実上自民党が採否を握る。
しかし、同党の森山国対委員長は「佐川氏の人権に関わる話だ」と告発に後ろ向きである。
また、加計学園の加計理事長が先月の会見で国会への招致について「お待ちしています」と答えたにもかかわらず、森山氏は「必要ない」と一蹴した。
各種世論調査で森友・加計問題の真相究明を望む声は大多数を占めるが、そうした国民の思いになぜ背を向け続けるのか。強大な国政調査権を死蔵させ、解明を妨げる自民党の姿勢は国会の権威をおとしめるものだ。
国民の財産である国有地を9割引きで売り払っても、公文書を改ざんしたり国会で虚偽答弁をしても、ほとんど咎を受けない。これではモラルなき退廃した社会に陥りかねない。
政権を握る自民党にその危機感がないことこそが危機である。

(2)立法府の責任 加計・森友を忘れるな 朝日7月17日
通常国会の会期末まで1週間を切った。6月下旬からの延長国会では、政権・与党のおごりが際立っている。
長時間労働を招きかねない「働き方改革関連法」を強行成立させ、問題だらけの「カジノ法案」や参院6増の「公職選挙法改正案」も、ひたすら成立に向け突き進んでいる。

一方で、加計・森友問題をめぐる野党の審議要求はたなざらしである。行政を監視する立法府の責任を果たさぬまま、国会を閉じることは許されない。
加計学園の獣医学部新設問題では、愛媛県議会が先週、学園に説明責任を果たすよう求める決議を全会一致で採択した。
県は、学園に約93億円を補助する今治市に対し、約31億円を支援する。巨額の公金が投じられる学園に、自ら疑念を晴らすよう求めた決議は、国会にとってもひとごとではない。
学園の加計理事長は先月、30分足らずのおざなりな記者会見を開いただけで、再度の会見要請を拒んでいる。ただ、加計氏は会見で、国会招致の要請を「お待ちしています」とも述べた。ならば、国会に呼んで疑念をただすのが筋であろう。
焦点は、愛媛県の文書に記された2015年2月の安倍首相と加計氏の面会だ。首相は否定し、加計氏も学園の事務局長による作り話だと釈明している。
だが、この言い分は疑問だらけだ。
獣医学部新設は面会を前提に学園と政府、県などとの間で調整が進み、その流れは県の文書に詳述されている。面会がなければ、つじつまが合わない。学園側が自分との面会を捏造したと主張しているのに、不快感を示すことすらしない首相の対応も不自然極まりない。
森友学園との国有地取引をめぐっては、決裁文書の改竄等に関する財務省の内部調査の結果、佐川前理財局長の証人喚問での説明に疑問が生じている。
しかし、自民党は、野党が求める偽証罪での告発に同意せず、佐川氏の再喚問にも応じていない。財務省内のやりとりを「最高裁まで争う覚悟で非公表とする」などと記された新文書も明るみに出たが、政府は野党の調査要求に無視を決め込んでいる。
獣医学部新設に首相と加計氏の親密な関係が影響してはいなかったか。なぜ財務省は国有地を格安で売却し、公文書を改ざんしてまで何を隠そうとしたのか。問題の核心は、いずれも未解明のままだ。加計問題も森友問題も決して終わっていない。

地方創生のばらまきは何処かへ行った。少子化のまちづくりには挑戦できなかった。

人口を考える 地方自治の将来 市町村とは何か、再定義を 毎日 7月17日 

人口減少は、地方自治の将来も大きく変えていく。
当然のように思われてきた公的な機能やサービスを多くの市町村が単独では担いきれなくなる。自治体は役割の再定義を迫られている。
公立小学校の統廃合が全国で進んでいる。北海道空知地区にある人口約1万1000人の長沼町は、現在5つある町内の小学校を再来年春にひとつに統合することを決めた。

フルセット主義に限界
町の推計では、現在約500人の児童数は6年後に約400人に減る。住民からは反対の声も起きたが「このままではグループ別学習や集団活動に対応できない」と判断した。
さらに踏み込んだ未来図がある。
東洋大学の根本祐二教授は全国の小学校が2050年ごろにどう統廃合されるかを試算した。児童数が今より3割減る想定に基づいたものだ。その結果、1学校18学級を標準にした場合、現在約2万ある小学校は約3分の1の6500に減る。
しかも、約850の市町村は単独で小学校を置かず、近隣の自治体と協力して小学校を運営することになる。つまり、学校を区域内に持たない自治体も出てくる。
小学校教育は市町村が独力で担うという常識が通用しなくなる試算だ。根本氏は「適切な規模の学校で教育するためにも、計画的に統廃合を進めるべきだ」と強調する。 
全国市町村の半数に「消滅」の可能性があるという増田元総務相らのリポートが波紋を広げたのは4年前だ。人口減少への警鐘だったが、安倍内閣は地方創生を掲げ、地方の活性化策にすり替えた。このため、人口減少を前提としたビジョンを描く作業は立ち遅れている。
政府の推計によると、人口1万人未満の市町村のうち、約8割が40年までに人口が3割以上減る。人口減は需要減につながり、水道など生活に必須な事業が維持しにくくなる。
日本の地方自治は都道府県、市町村による「2層制」だ。市町村は何度かの大合併で約1700に減ったが、基本構造は変わらない。
人口減に備え、さらに合併を進めるべきだとの意見がある。だが、「平成の大合併」に同調しなかった自治体を強制合併させれば、住民の反対など深刻なひずみを生むだろう。
市町村がフルセットで公的機能を備える発想に限界がある以上、隣り合う市町村が「圏域」を作り、中心となる都市に機能を集約するのが現実的だ。都道府県は町村の仕事の多くを代行することになる。これまでの都道府県、市町村の固定的な役割を見直さざるを得ない。
まちづくりも発想の転換が求められる。
開発重視で宅地を広げたかつての行政とは逆に「住まない地域」を決め、「住める地域」に市街を集めていく必要がある。

住民自身の気概が必要
住民の移動を伴うだけに、ていねいで息の長い取り組みが欠かせない。富山市の場合、路面電車が拠点となる複数の市街地を結びながら走る「団子と串」という発想で、都市計画を進めている。
北海道夕張市はかつての炭鉱住宅で分散していた住宅街の集約を進めている。高齢者らを説得していく20年がかりのプランだ。
人がいなくなった地域をゴーストタウン化せず、どう生かしていくかも新たな課題となる。
空き地、空き家が増え都市が空洞化すると、治安や防災面の脅威となる。だが、放棄された土地建物の権利関係を確定して再生しようとすると、膨大な時間とコストを要する。
米国では、非営利組織が簡易な手続きで土地を管理し、再利用する「ランドバンク」という仕組みが成果を上げている。日本でも公的な機関が「かつての街」を再生できる仕組みを検討する必要がある。
自治体は地域の共同体から形づくられる。住民自らが地域の未来像を決めるのが地方自治だ。だが、残念ながら、日本の自治は住民が行政に依存する意識が強く、主体的に議論に関わってきたとはいえまい。
人口減少に向き合うことは、痛みを伴う。首長や地方議会は現実を住民に率直に説明し、理解を得ていく努力がいっそう求められる。
そして住民は、新しいまちをつくる気概を今こそ共有すべきだ。広がり続けた市街を、緑地や公園が豊かで、一定のエリアに集住する都市に変えていく。決して、後ろ向きな作業ではないはずだ。

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